積読層の知質学的研究

歩いて、見て、知って、感じたことども。

ぼくの「姑獲鳥の夏」―実相寺昭雄の幻想的な世界へようこそ

No.24 姑獲鳥の夏 ★★★☆☆

監督:実相寺昭雄

原作:京極夏彦姑獲鳥の夏

脚本:猪爪慎一

音楽:池辺晋一郎

出演:堤真一永瀬正敏原田知世阿部寛

公開:2005年7月16日

上映時間:123分

あらすじ

「二十か月もの間子供を身籠っていることができると思うか」―京極堂こと中禅寺秋彦(堤)にそのような問い掛けをしたのは関口(永瀬)であった。「この世に不思議なものなどないのだよ」と応える京極堂。しかし、関口は彼や周りの人間を巻き込んで、妊娠二十か月の妊婦、連続嬰児死亡事件に関わる久遠寺家の謎に迫っていく。それは関口自身の過去とも繋がりがあった。絡みついた謎が解けたとき、京極堂は立つ。「憑物」を落とす陰陽師として・・・。

 ●実相寺昭雄の世界

 本作は実相寺昭雄の晩年の劇場作品のひとつである。原作者・京極夏彦は彼の作品のファンだそうで、確かに作風は実相寺監督が好みそうな和風の怪奇サスペンスである。かく言う僕も実相寺監督のファンである。僕は円谷特撮が好きで、監督の作品と出会ったのもウルトラシリーズと『怪奇大作戦』においてであった。監督はカメラの天地を逆転させたり、光と影を強調したり、下から上を見上げるようにしたアングル・・・など独特なカメラ・アングルで撮影することで有名である。これは実相寺アングルなどと呼ばれ、多くの演出家たちに影響を与え、現在でも頻繁にオマージュされる。例を挙げればキリがないが、例えば光と影の表現は『ケロロ軍曹』、夕陽に対峙する二つの影という演出は『新世紀エヴァンゲリオン』などで用いられている。

 この実相寺アングルというものは本当に効果的であり、ひとつひとつのシーンが一個の絵画のような芸術性を持つのである。このような特徴的な演出を行う人物は他にスタンリー・キューブリック監督がいる。

 本作では冒頭の関口が坂を歩いているシーンでの画面の天地の回転や、京極堂による久遠寺家での事件の説明のシーンでの妖しい七色の光などをはじめ、いくつものシーンで使われている(実相寺監督本人なんだから当たり前だが)。これが時には舞台での演出に見えるような時もある。これが意図的なのかどうかは分からないが、『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンマックス』などではメタフィクション的な演出も行っている(舞台や虚構という描写をする)ため、そういった意図も少なからずあるのかもしれない。しかし、これが現実なのか幻覚なのか、その境界を曖昧にさせ、幻想的な空間に我々を連れ去っていくのである。なにか、汚い醜いものを幻想的な美しい空間でぼんやりとみ(見・魅)せられている・・・というか、そういった中毒的な悦が監督の演出には感じられる。

 これはどうやら監督のフェチズムにあるらしい。彼は様々なものに対しフェチズムを持っていた。言い換えれば、監督なりの絶対的な哲学や美学であろう。画面ひとつひとつの見せ方や描き方に頑なで尋常ではないほどのこだわりがあるのだ。それが我々を中毒性のある魅惑的な世界へと誘う。この世界は先述通り、(人の)美しさと醜さが隠れている。

 こういう演出はライトな作風のウルトラシリーズよりも『怪奇大作戦』に近い。メタな演出、というものは当時は一切なかったけれども、このフェチズムの上に成り立つ演出は確かに存在した。たとえば「呪いの壺」や「京都買います」の回はまさに本作と同系列の演出で成立している物語だ。

 また、本作では監督の特撮愛も感じられた。日頃より「CGよりもミニチュアの特撮が良い」と公言し、自身も昔ながらの怪獣映画を撮ってみたいと語っていた監督。本作ラストの久遠寺病院が炎上するシーンでも特撮が用いられている。燃え上がり、崩れ落ちる紅蓮の病院の姿は、『怪奇大作戦』「呪いの壺」ラストの寺院の大炎上シーンを彷彿とさせる。灰塵に帰した廃墟のシーンはおそらくミニチュアを用いている。姑獲鳥もCGを使用していない。円谷の技術を愛した彼らしい方法である(まぁ、周りのスタッフも若いころからの戦友ばかりなので特撮多様も当たり前田のクラッカーかもしれない)。

●しかし、ストーリーが追いにくい・・・

 本作では実相寺監督の職人的な作風が堪能できる。しかし、僕にはひとつ残念なことがある。それはストーリーが追いにくかったことである。まず、冒頭からしてよく分からない。関口が久遠寺家の噂を聞いて、それから京極堂のもとへ向かい、その後探偵たちと久遠寺家へ向かうが、なにゆえ彼が話に乗ったのかいまいち分からない。それはやはり京極堂の言うところの「脳が覚えていた」というやつなのだろうか?また、久遠寺家の過去や多重人格誕生の設定も釈然としない。やはり原作の量に対して映画の尺が短いために端折っている場面が多いのだろうか?赤ん坊たちを殺された親たちの復讐もコントのようであったし、警察があれだけいるのに放火は簡単にされるし、ちょっと粗も目立った。

 ところで、紙芝居のイラストは水木御大だよなぁ・・・なんて思っていたら、『墓場鬼太郎』が出てきてニヤニヤ。

 そういえば、京極堂と話していた軍帽被った眼鏡の男は御大なのかな?・・・などと思ってエンドロールを眺めていたら

「傷痍軍人(水木しげる)」

やっぱり!そして演者を見ると

「傷痍軍人(水木しげる)・・・京極夏彦

おい!原作者かよッ!!と、思わず突っ込みを入れてしまうのでした。

 

鑑賞:2013年6月22日

文責:苺畑二十郎 2013年6月22日