積読層の知質学的研究

歩いて、見て、知って、感じたことども。

ぼくと「ジュリアーノ・ジェンマ」―さらば、星空の用心棒!

 ジュリアーノ・ジェンマ氏が亡くなった。

 今朝、Twitterで見つけた何気ないつぶやきに意識が覚醒した。あの、ジェンマが・・・。

 1960年代から70年代にかけて、日本ではイタリア製の西部劇が大流行した。黒澤明監督の『用心棒』そのままにアウトローなガンマンが残酷に敵を殺していく『荒野の用心棒』がヒットしたのである。これは日本だけでなく、勧善懲悪の西部劇に閉塞気味だったアメリカでもウケた。

 「ソード&サンダル」と呼ばれた史劇・神話ジャンルが終焉し、落ち込んでいたイタリア映画界は久々に湧いた。西部劇映画は『荒野の用心棒』を下敷きに無数に制作され、俳優も監督も新たな才能が数多く発見された。

 そういった才能の中に、ひときわ輝く者たちが一握りいる。

 ジェンマこそ、その一握りであった。

 僕は当たり前のことであるが、イタリア製西部劇――マカロニウエスタン――世代ではない。ひょんな切っ掛けから虜になってしまっただけの人間である。西部劇を髄の髄まで語れるほどには鑑賞した作品の数も、知識量も豊富ではない。

 ただ、「カッコいい」と思えたものについては言葉足らずであっても、どうしても語りたいのである。つまり、僕にとってのジェンマとは語るに値する「カッコいい」男だったのだ。

 

 ジェンマの作品で好きなものは『荒野の1ドル銀貨』や『星空の用心棒』などいくつかあるが、なんといっても『怒りの荒野』は外せない。僕が初めて見たジェンマ主演作でもあるし、なによりその物語が良い。ガンマンに憧れる、心優しくも娼婦の息子ということで嫌われている青年が、流れ者のガンマンに付きしたがって腕を磨き、二人で街を牛耳るほどになる。ところが、青年のことを見守ってきた老保安官が殺されたことで、青年は覚醒し、師匠に立ち向かう・・・。

 このようなタイプの物語はそれまでになかった斬新なもののように思われる。しかし、大きくとれば成長ものと仇討ものであって、我々が非常に慣れ親しんだ物語でもあるのだ。

 ジェンマが才能を活かして成長していき、だんだんと心変わりしていく様は見事である。親のようにしたっていた老保安官が殺されてからの怒りによってギラギラと燃え盛る瞳!そして、すべてを終えた後に無情を感じて銃を捨てたときの済んだ瞳!!ただイケメンというだけではなく、ジェンマの眼には強い意志や感情が現れる。

 また、早撃ちというわけではないが(ブロンソンと比べちゃダメ?)、鮮やかな体さばきと共に行われる射撃は見事であった。

 

 ジェンマはもういない。しかし、彼の活躍はスクリーンで永遠に繰り広げられる。それはとても素敵なことなのだ。それでも、僕は彼にさよならを言わなくちゃあならない。みんな、あなたに憧れた。ありがとう。

 

 さらば、星空の用心棒!

 

2013年10月2日 苺畑二十郎