積読層の知質学的研究

歩いて、見て、知って、感じたことども。

ぼくの「スパルタカス」―圧倒的大人数で描かれる決戦にカタルシス

No.29 SPARTACUS スパルタカス ★★★☆☆

監督:スタンリー・キューブリック

原作:ハワード・ファスト

脚本:ダルトン・ドランボ

製作総指揮:カーク・ダグラス

音楽:アレックス・ノース

出演:カーク・ダグラスローレンス・オリヴィエジーン・シモンズ/チャールズ・ロートン/ジョン・ギャヴィン

上映時間:184分 193分(復元版)

公開:1960年10月7日(アメリカ) 1960年12月15日(日本)

あらすじ

 紀元前1世紀のローマ帝国リビアで奴隷として働いていたトラキア人のスパルタカス(ダグラス)はその燃え盛る反抗心から剣闘士の養成所へと売られてくる。そこでは支配者たちによる厳しい訓練と体罰が待っていた。そんなスパルタカスの心の慰めは、同じ奴隷であるバリニア(シモンズ)であった。二人は次第に心惹かれあう。

 地獄のような訓練が続くある日、養成所にローマからの客人が現れた。それはローマを絶対的に崇拝する軍人クラサス(オリヴィエ)たちであった。一行は奴隷剣闘士たちの決闘を所望する。スパルタカスは黒人と戦うが負けてしまう。しかし、黒人は彼を殺すことなく、むしろクラサスたちを狙った。

 反逆者として黒人が殺されたとき、スパルタカスのなかで何かが燃え出した。そしてそれが爆発するまで時間はかからなかった。

 愛しいバリニアがローマへと売られていく。彼女とスパルタカスを嘲笑う声が彼の頭に響いたとき、彼は爆発した。

 養成所から脱走し、徒党を組んだ奴隷たちは大軍団に発展していく。遂には元老院が動き出すまでに。

 スパルタカスは彼が目指す自由を、その手に掴むことができるのであろうか・・・。

 ●スペクタクルな一作

 超大作といえば史劇、という時代が確かにあった。70㎜のフィルムを惜しむことなく使って撮られた数々の超大作は、みな素晴らしい出来である。日本だって『秦始皇帝』や『釈迦』、『敦煌』なんてやっているくらいであるから史劇は映画の華なのだ。

 本作はユニヴァーサル映画の史劇超大作だ。カーク・ダグラス自ら製作総指揮を行っている。脚本はダルトン・ドランボである。『ローマの休日』や『ジョニーは戦場に行った』の脚本家である。彼は左派であり、赤狩り公職追放されていたが、本作で10数年ぶりに実名でクレジットされた。このことは右派の人間を興奮させ、上映反対運動なども展開されたようであるが、ジョン・F・ケネディ大統領が本作を鑑賞してポジティブな感想を述べたことで嘘のように大ヒットしたという。最終的にはアカデミー賞を4部門受賞しているわけで、大衆というのは単純なんだなぁ・・・なんて思わせられるエピソードでもある。

 このスパルタカスベン・ハーとは異なり実在の人物で、本当にローマと戦ってしまったどえりゃー!な人なのである。被支配者層が自由を勝ち取るために帝国主義者たちに立ち向かうという構図は社会主義共産主義の目指す形でもあり、この人物の再評価というのはおよそ2000年経ったマルクスやレーニンの時代に始まった(といわれている)。なんとも赤いエピソード満載ですな。

●おれの子供じゃない・・・親に見放された哀れなスパルタカス

 「あの映画には失望した」

 『スパルタカス』について訊かれたキューブリック監督の応えである。カラー作品だから錯覚してしまうんだが、『博士の異常な愛情』はこの4年後である。彼は本作の前後に『突撃』と『ロリータ』を監督している。まだ、若手だったころの彼であるが、どうしてこのような大作をまかせられたのであろうか。また、まったくキューブリックらしくない演出も気になる。物語なんてまさにキューブリック節ではない!

 実は本作のもともとの監督はアンソニー・マンであった(僕はよく知らないが)。ダグラスとマンの意見衝突が発生し、降板させられたのだという。そこで若手のキューブリックが代わりに充てられた。

 完璧主義者のキューブリックが、自分が頭から足を突っ込んでいない話を嬉しそうに受けるところを想像できる人間がこの宇宙にいるだろうか?答えはNOだ。

 「雇われた」仕事として彼は本作を監督した。やはりダグラスが口を突っ込んでくるので、思いっきり撮影できなかったようである。もうさ、ダグラスが監督兼主演でいいじゃあないか・・・。

 『スパルタカス』は育ての親(生みではないのだ)から見放された、可愛そうな映画なのである。キューブリックは死ぬまで本作を自らのフィルムと認めなかったそうだ。

●観客よ、これが戦場だ!―エキストラ1万人で描かれるハイライトが圧巻!!

 僕は本作のストーリーはあまり面白いとは思わなかった。というのも『ベン・ハー』なんかと比べてもあまりポジとネガの山谷がなく、ほとんど平坦地を進んでいるからだ(ただ、『ベン・ハー』みたいにヒロインにイライラさせられなかったのでコッチのが好みかな?)。では本作の見どころはなんなのかというと、これは奴隷軍とローマ軍の「最終決戦」、戦闘シーンであろう。キューブリックはやはりスゲエことやっとります。

 平野に相対する両軍の人数に思わず「ええーッ!!」となってしまう。それもそのはず、決戦シーンのエキストラはなんと1万人強という大人数。今の映画ではなかなかできるものではない。しかも、そのうちの数千人であるローマ軍の陣形、前進が美しすぎる。どれだけ練習し、撮影したのであろうか?

 両軍が激突してからの混戦も凄まじい。日本でもこれくらいの規模で関ケ原合戦なぞ撮ってほしいものだ(迫力、という点では黒澤明監督の『影武者』における長篠・設楽ヶ原の戦いも迫力満点である)。

 さて、奴隷たちは決戦に敗けてしまう。ローマは、捕虜となった彼らのなかからスパルタカスを見つけて処刑しようとするが、「私がスパルタカスだ!」と皆が言ってスパルタカスを庇うのである。まさに名シーンですな。

 結局、奴隷たちは一人ずつ十字架にかけられることになる。正体がばれずに最後まで残ったスパルタカスは、自由人となったバリニアと最期に出会う。ここら辺は型にはまった感じの悲劇として演出される。

 決戦シーンまでの昂揚感が素晴らしく、そしてカタルシスとなって一気に発散される。したがってそれ以後は『ベン・ハー』同様に展開が進むテンポも落ち込み、ありがちの展開の連続を見せられるだけである。

 ところで、シーザー役のキャヴィンはとてもカッコいい男性だった。役そのものも割とおいしいポジションで用いられている(観客はみな、こののちシーザーがどのような人物になるか知っているから、劇中のシーザーがどう行動し、どう変わっていくのかを追うのは面白い)。

 

※レヴュー書き終わるまでにやたらと時間が空いてしまって、後半はグダグダ。書くときに一気に書くのが良いのだなぁ・・・ということを痛感させられました。

 

鑑賞:2013年7月7日

文責:苺畑二十郎 2013年7月13日