積読層の知質学的研究

歩いて、見て、知って、感じたことども。

ぼくの「羅生門」―クロサワが描いた「人間」の醜さと美しさ

No.27 羅生門 ★★★★☆

監督:黒澤明

原作:芥川龍之介『藪の中』

脚本:橋本忍黒澤明

音楽:早坂文雄

出演:三船敏郎京マチ子志村喬/千秋実/加東大介森雅之

公開:1950年8月26日

上映時間:88分

あらすじ

ある侍が殺された。

盗人・多譲丸(三船)、侍の妻・真砂(京)、死霊となった侍(森)・・・。彼らの証言はまるで異なっていた。

藪の中で起きた事件の真実とは何か!?

 ●藪の中

 「事件の真相は藪の中だ」・・・という言葉をよく耳にする。なぜ、皆目見当がつかず、解決できないことを「藪の中」というのか。それは芥川龍之介の短編『藪の中』に由来する。

 『藪の中』は1922年に発表された小説である。今昔物語集に取材した「王朝もの」の最後の一編である。侍・金沢武弘とその妻が盗人・多譲丸に襲われ、侍が殺された事件を数人の人物の証言をもとに描いていく。ここでは死体の発見者である木樵り(きこ‐)、生前の侍夫婦に会った旅法師、多譲丸をからめ取った放免、妻の母・媼、多譲丸、妻、死霊となった侍の証言が語られる。が、これらの証言には食い違いが多く、事件の当事者たちに至ってはまったく異なった証言をするのである。いったい誰の言が正しいのか、作中では一切分からない。

 現在に至るまで一般読者から研究者まで多くの人間が真相の解明に思い悩んだ。なんと論文まで書かれているというのであるから驚きである。僕としては真相は初めからないと思っている。登場人物たちそれぞれの都合に良いよう証言されているが、それが彼らにとっての真実に他ならない。人間の正体のひとつである醜さが描かれている(と思う)。僕が芥川の作品のなかで最も傑作だと思う一編だ。

 黒澤明も人間の正体が気になったのであろうか、この作品を映画化した。国内では受けなかったが、欧米諸国では受けている。論理を好む欧米故にヒットしたのかは分からないが、いくつものリメイク作品が作られるほどである。ヴェネツィア国際映画祭でグランプリを獲得し、日本映画が世界へ挑戦する魁となった。国内外が黒澤に期待することとなる。この作品の海外での評価が無ければ、黒澤は「(会社側に)無茶を押し通せる監督」にはなれなかったのではないだろうか?つまり、『七人の侍』や『天国と地獄』といった日本映画史上の名作が誕生しなかったかもしれない(黒澤映画はあらゆる無茶を押し通して作られた作品が多い)。そういう意味では評価に値する作品なのであろう。反面、今日に至っては過大評価をされすぎている作品のひとつである。

●人間の醜さと美しさ

 黒澤映画の素晴らしさのひとつには映像美がある。実相寺監督ほどの奇抜な演出はほとんどない。むしろ、リアルな画面を作ろうとしている。しかし、極限までこだわった美術、画面構成が生み出す映像に吸い込まれていくようになる。また画面のスピード感もすごい。馬が駆け抜けるようなシーンの疾走感と、刀と刀が交わるような緊迫したシーンの緊張感とジリジリとした圧迫感。本作ではまだ出し切れてはいないが、多譲丸に関連するシーンでは『七人の侍』に繋がる鱗片が見えている。

 本作はあまり音楽に頼っていないのも特徴である。多譲丸と侍が決闘を行うシーンも自然音のみが聞える。現実感のある緊迫したシーンをうまく演出している。しかし、妻の証言などでは効果的に音楽が用いられている。ボレロ調の音楽だ。作曲の早坂文雄は早逝の音楽家である。彼は4年後、あの印象的な「侍のテーマ」を作曲して、60年経った今でも我々を虜にして放さない。

 黒澤の本作における特徴は「木樵りが第三者として事件の顛末を覗き見していた」というエピソードを加えて、物語をより多重にしたことである。そこで描かれる当事者たちの姿は、まったく等身大の人間である。恥を恐れ、刀を扱えば腰を抜かし、死にたくないと命乞いをするというみっともない姿をさらしている。誰にも知られたくない、誰にも知られてはならない姿。それらをひた隠しにするため、彼らは三者三様に内容の異なった証言をする。人間の醜さがひしひしと伝わってくる。だが、この証言をした木樵りもその実信用が置けないかもしれない。現場から消えた短刀の行方は分からない。それは木樵りが盗んだのだ、と話を聞いていた男に図星を突かれてしまう。人間とは誰もが醜い心を持っている。信用は置けない・・・。

 しかし、黒澤は人間はそんな単純なものではないと語るのだ。自分も嘘を言ってしまった木樵りであったが、羅生門に捨てられた赤ん坊の身を案じ、捨てた親の気持ちを鑑み、さらには持ち帰り育てようと決心する。人間は誰かを思う気持ちも持っている。そういった優しさは人間の持つ偉大な美しさである。

 醜いだけの人間がいなければ、美しいだけの人間もいない。自分に都合の悪いとき、人は醜い面を現わすかもしれない。だが、他人を思いやるような人の美しい面もある。誰もがみなそれらを等しく持っていることを忘れてはならないのである。

 新藤兼人監督は「絶望の物語を描くとき、必ずひとつの希望も描かねばならない」と言ったという。まさにその言葉通りの物語である。

 さて、こういった人間の本質を描いた作品というので、僕は『ダークナイト』を思い出した。こちらも終盤、二隻のフェリーに乗った乗客たちの勇敢な決断が、どんな人間にも良心が存在している・・・という絶望の街における唯一の希望として描かれている。こういったテーマは、時代が変わっても、国が違っても必ず描かれるのである。やはり、人間の人間たる所以のものだからであろうか。

 

鑑賞:2013年6月30日

文責:苺畑二十郎 2013年6月30日