積読層の知質学的研究

映画と地質学と面白いことにおぼれる日々。

ぼくの「ジュラシックパークⅢ」―そしてモンスターパニック映画へ・・・

No16.  JURASSIC PARKⅢ ジュラシックパークⅢ ★★★☆☆(再)

監督 ジョー・ジョンストン
脚本 ピーター・バックマン
アレクサンダー・ペイン
ジム・テイラー
原作 マイケル・クライトン
   
製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ
出演者 サム・ニール
   
公開 アメリカ合衆国の旗 2001年7月18日
日本の旗 2001年8月4日
上映時間 94分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

Wikipediaより抜粋

あらすじ:あのジュラシックパークとサンディエゴ事件から数年、古生物学者アラン・グラントは怪しげな夫婦にガイドを頼まれてコスタリカに訪れる。二人は飛行機を旋回飛行させながらの観光だと説明していたが、実は2か月前に島で行方不明になった息子を探し出すことが目的だった。飛行機は不時着し、彼らはサバイバルを余儀なくされる。しかし、そこにはあのT-REXよりも強いスピノサウルスや、超高度な知能を持つラプトルたちが潜んでいるのであった・・・。

 ●「進化」したメッセージ映画から「絶滅」したパニック映画へ・・・

 僕が人生で最も観た(おそらくこれからを含めて)映画は『JURASSIC PARK(ジュラシックパーク)』である。僕が恐竜(怪獣)に目覚めたきっかけであり、古生物学者(いまは学生ですの)を目指したきっかけでもある。『JURASSIC PARK』(以後、Ⅰと呼ぶ)は僕の人生の原点の一つでもある。

 そのシリーズ3作目がこの『JURASSIC PARKⅢ』(以後、Ⅲ)である。主人公は前作『THE LOST WORLD/JURASSIC PARK(ロストワールド)』のイアン・マルカムからⅠの主人公・古生物学者のアラン・グラント(サム・ニール)へと戻り、公開当時はこの情報だけで嬉しくなったものである。ジュラシックパーク=グラント博士という強いイメージがあったからだ。

 Ⅰが公開当時に映画の歴史を変えたのはよく知られている。巨大なロボットとともにCGを多用したことで、それまでに無いほどのリアルな恐竜がスクリーンに現れた。これ以降、SFにはCGが使われることが常となり、ダイナメーション(コマ撮り)や特撮=ミニチュア・着ぐるみを用いた作品はほぼ「絶滅」することとなった。

 さらにⅠの評価に大きく貢献しているものは単純な恐竜(怪獣)映画を脱したテーマである。

 恐竜映画というのはパニック映画の一種と言える。人と恐竜という合い入れない生命体が出会うことで、動物的弱者である人間が危機に陥るという構図で物語は展開されるのだ。これは大きく分けて2パターン存在する。

(ⅰ)人間が恐竜たちのいる環境下に赴くことでパニックとなるパターン=『THE LOST WORLD(ロストワールド、1925年)』『KING KONG(キングコング)』『PLANET OF THE DINOSAURS(恐竜の惑星)』

(ⅱ)恐竜たちが人間の環境下にやってくることでパニックとなるパターン=『THE BEAST FROM 20,000 FATHOMS(原子怪獣現る)』『ゴジラ』『THE VALLEY OF GWANGI(恐竜グワンジ)』

(ⅰ)の場合はラストで恐竜を人間世界に持ち込んでさらにパニックになることがある。(ⅱ)は恐竜映画というよりも怪獣映画で見られることが多い。『ONE MILLION YEARS B.C.(恐竜100万年)』のように人間と恐竜が同じ環境下に生きているという作品もある。大概がこのパターンに当てはめて造られていた恐竜映画であったが、Ⅰについては異なっていた。

 遺伝子工学の発展により、人類は食物から生物までクローンとして復元することが可能になった。オリジナルのデータ=DNAがあれば自由自在なのである。だが、それは神の行為であり、人間が簡単にやっていいものではないはずなのだ。自然は人間のものではない。Ⅰ劇中では「自然界に対するレイプ」という言葉で表現されている。

 人間が自然界の頂点という浅はかな考えのままでは、いつか自然に逆襲される。その自然の象徴こそが恐竜なのである。人間は自然と共に長い歴史を歩んできた。それは自然の恩恵を受けることができたからだ。その反面、未だに人間は地震や津波に怯え、それを防ぐことができない。自然は暴力的で恐ろしい面も持ち合わせているのだ。

 『ジュラシックパーク』シリーズでは恐竜は恐ろしいだけでなく美しくも描かれる。誇張したキャラクター(怪獣のような)にはならずに動物として描かれる。それは自然そのものの姿といえる。

 Ⅰは「人間の欲によって自然・生命を冒涜すると、いつか必ず痛い目にあう」というメッセージが感じ取れる。これはそれまでの恐竜映画には無かった、時代に合ったテーマである。

 ところが、続編『LOST WORLD』は「退行」してしまう。題名通り、パターン(ⅰ)の『THE LOST WORLD(1925年)』のストーリーそのままである。前作のような強いメッセージは感じ取れず、従来通りのパニック映画の一編である。ラストはサンディエゴにT-REXが上陸し、子供を探すという『大巨獣ガッパ』を意識したような展開であり、恐竜も恐ろしさの対象として描かれる。

 そして本作、Ⅲも同じである。前作のように人間世界に恐竜が行くことなく、島内だけで物語が完結しているから、設定的にはより「原始的」である。Ⅰが「進化」したことで「絶滅」したはずの恐竜パニック映画へ、より「退行」してしまっている。ただ、こちらは気持ち程度だが恐竜を再び自然の象徴のように描くシーンもあってマシな気がするが・・・。

●こうなってくると「恐竜そのもの」が評価対象(笑)

 こうなってはCG技術の進歩によって、あるいは学説の発展によってどれだけ恐竜描写が変わったかを評価するしかない・・・。と言うものの、恐竜研究というのは日進月歩なのであるが、大きく見た目が変わったりするような発見は10年くらいでは定説化しない。正直に言えば、Ⅰ自体が当時の学説を先に行くような考証だったので、Ⅰで描かれた恐竜像が学会や一般にもようやく固まってきた頃といってよい。Ⅲでは羅ラプトルの頭にちょこんと羽毛が生えているのがわかる。これも、当時では「鳥へと進化した恐竜のなかまは羽毛を持っていた」という大胆な仮説を反映させた結果であると思う。2013年現在ではこれが定説化し、むしろ発展して「恐竜=鳥類」とまでなってしまった。

 特に秀でているなと思うのはラプトルたちが高度な社会性を有していたという仮説に基づく描写である。ⅠやⅡよりも計画的に行動するラプトルの姿には人間のような不気味さも感じる。

 その反面突っ込みどころもある。あえて一つ上げるならば、スピノサウルスとT-REXの決闘である。魚食である顎の細長いスピノと、肉食であり、骨まで砕くことのできる重く頑丈な顎を持ったT-REXが戦って、スピノが勝てるものなのだろうか・・・。スピノより先にT-REXが喉元に噛みついていたし・・・。

 

●今年はJPバースデーイヤー!!

 『JURASSIC PARKⅣ』という企画は存在している。ただ、ほとんど進展しておらず、2008年に原作者であるマイクル・クライトンが亡くなったこともあって、製作は中断されたという。しかし、今年、2013年はⅠ公開から20年目という記念すべき年であり、『JURASSIC PARK:3D』が公開されている。これは実に喜ばしいことで、劇場でⅠを見ていない僕は是非見たいと思っている。ただ、6月現在は日本での公開に関する情報は全く無い。願わくば夏休みに公開してほしい・・・。

 嗚呼、IMAXシアターの大画面で『JURASSICPARK』を堪能したいものである。

 

鑑賞:2013年6月6日

文責:苺畑二十郎 2013年6月9日