積読層の知質学的研究

映画と地質学と面白いことにおぼれる日々。

ぼくの「ワイルドバンチ」―西部劇への鎮魂歌

No.17  THE WILD BUNCH ワイルドバンチ ★★★★★

監督:サム・ペキンパー

脚本:ウォロン・グリーン/サム・ペキンパー

出演者:ウィリアム・ホールデンアーネスト・ボーグナインロバート・ライアン

公開:アメリカ:1969年6月18日

   日本:1969年8月16日

上映時間:劇場公開版:134min

     ディレクターズカット版:145min

 

あらすじ

 西部開拓時代など当の昔に終わりを告げた1913年。年老いたガンマンたちは時代に取り残され、強盗や殺人をすることでしか生きていく術を知らなかった。強盗団「ワイルドバンチ」は鉄道事務所の銀貨を強奪するが失敗し、事務所に雇われた賞金稼ぎたちに追われる。「ワイルドバンチ」のリーダー・パイルの旧友・ソーントンも賞金稼ぎの一人であった。追いつ追われつ国境を越えて、メキシコの寒村に向かった「ワイルドバンチ」は政府軍のマパッチによって辛酸を嘗めさせられていると知る。そこは仲間の一人・エンジェルの故郷であった。米軍からの武器強奪を行い、一度はマパッチたちと協力する「ワイルドバンチ」であったが、マパッチと戦うために武器の一部を村へ横流ししていたことがばれてしまう。エンジェルは捕えられ、リンチを受けることとなった。これにはパイルの女房役ダッチや、いつもはエンジェルと睨み合っているゴーチ兄弟も我慢ならない。「ワイルドバンチ」はたった4人で、一人を救うために200人に向かうのであった・・・。

 ●「滅び」と西部劇への鎮魂歌

 サム・ペキンパー監督はバイオレンスと残酷描写の優れた監督として知られている。とりわけこの『ワイルドバンチ』はペキンパー監督の最高傑作として評価が高い。撃ち殺された人物の吹き飛ぶ血しぶきとスローモーションながら大きく動くその様は、残酷な殺人の現場であるのにも関わらず、美しいと感じてしまう(おそらく、『七人の侍』で勘兵衛が悪人を斬るシーンに影響を受けたのであろう)。「デス・バレエ」と呼ばれるのも納得である。

 「デス・バレエ」についてはラストの大銃撃戦が特に秀でている。エンジェルが将軍に殺されてから、「ワイルドバンチ」が銃撃を開始し、広場が阿鼻叫喚の戦場と化すまでを短いカットとスローモーションで描き出す。テンポよく切り替わるカットと、大きな動きをゆっくりと見せるスローモーションが画面に緩急をつけ、息を吐かせぬ緊張と興奮の銃撃戦を見事に捉えた(撮った、というよりもその惨劇をカメラが捉えたという感じ)。

 撃たれた敵が落ちていく短いスローモーションのカットを点滅のように挟むのも斬新である。

 西部劇の銃による決闘というのは一瞬で勝敗が決するものである。ここでペキンパー監督は撃たれた後の人間をスローに描くことで「刹那」の決闘に時間的な幅を持たせた。これが瞬間的にやってくるはずの死が、本人にとってはじわじわとやってきている・・・と我々に感じさせ、さらには「滅び」の切なさを表現しているように感じるのである。肉体的な「滅び」だけでなく、時代に取り残された者たち、或いは彼らが生きていた時代そのものの「滅び」を感じさせる。大銃撃戦で死にゆく「ワイルドバンチ」たちの姿はまさにそうである。

 僕はこの作品が「最後の西部劇」と呼ばれ、「ペキンパーが西部劇に引導を渡した」と言われる根本的な部分にこの演出があると思う。この「滅び」を感じさせる「デス・バレエ」はそれまでの西部劇には無かった。そしてこれ以後の西部劇にも存在しない。ガンマンたちが斃れ逝く姿がスローで描かれるのには意味があるのである。劇中、西部開拓の時代は終わっている。メキシコで自動車を見るということは、アメリカで生産され出回り始めたということだ。それは産業革命以来の機械文明への移行を示している。作品の公開当時の映画の状況というものも似たような転換期であった。1940年代からの黄金期が過ぎ、1960年代にはテレビの普及によって世界的に映画産業は圧迫されつつあった。特に西部劇はブーム以前にジャンル自体の終焉を匂わせていた。映画よりもテレビ、娯楽作よりもドラマ、西部劇よりもSF・・・。時代そのもの―特にアメリカにおいて―も閉塞的であり、アメリカンニューシネマに描かれるような彷徨える若者たちが問題になりつつあった頃なのだ。

 この前後に公開された優れた西部劇というのはすべて「西部劇への鎮魂歌」と受け取れる。1969年という年は象徴的な3作品が(日本において)公開されている。それはセルジオ・レオーネ監督の『ONCE UPON A TIME IN THE WEST(ウエスタン)』とジョージ・ロイ・ヒル監督の『BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID(明日に向って撃て!』、そして本作だ。

 『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』は二人のガンマンとヒロインを中心に描かれる。ヒロインは街の開発と鉄道を完成させることを決意する開拓民である。それとは対照的にガンマンたちは旧時代の遺物として描かれるのだ。居場所が無い彼らはラストシーンで寂しげな音楽とともに街を去り、荒野の彼方へと当てもなく消えていく。つまりここでも「滅び」が描かれる。対してヒロインのもとには開拓民たちがわんさかと集まってくる。ヒロインは新時代への希望の象徴なのだ(『ワイルドバンチ』では子供たちの描写が時々出てくる。パイルも致命的な一撃を子供の兵士から貰う。子供たちというのがガンマンたちと対照的に新時代の象徴として描かれている)。

 レオーネ監督自身にとっての「最後の西部劇」として撮られた作品であるから、西部劇の象徴であるガンマンを彼の映画世界から退場させたと言える。だが、僕としてはこの「滅び」という「西部劇への鎮魂歌」を体現する作品が同時期に製作されたことが偶然のようには思えないのである。

 『BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID』では「滅び」という描写に関してはさらに強烈である。有名なラスト、レッドフォードとニューマンが飛び出した瞬間で静止画となり無数の銃弾が打ち込まれるというシーンは旧時代の「滅び」を強く念頭に置いて描かれている。しかも、アメリカンニューシネマであるからなおさら時代の閉塞感を強調して描いているのも分かるし、なによりこれらの作品のヒットを考えれば、当時の時代人たちはこの「滅び」に共感したといえるのだ。

●カッコいい男、ボーグナイン

 「ワイルドバンチ」のリーダー的存在であるパイルことホールデンであるが、僕はあまり彼をカッコいいとは思わなかった。むしろ、彼の女房役としてそばにいるダッチことボーグナインのキャラをいいなぁと感じた。チームの空気をなだめることのできる役柄であり、悪人でありながら情も強い。また、喜怒哀楽の表情が抜群に上手い。エンジェルが捕えられてその場を去る時の悲しげな眼や、銃撃戦でのエクスタシィを感じているような激しくギラギラとした眼などに強く魅せられた。『THE POSEIDON ADVENTURE(ポセイドン・アドベンチャー』の短気な刑事役とは印象が正反対なのも新鮮である。いい役者さんだなぁ・・・。

 

鑑賞:2013年6月8日

文責:苺畑二十郎 2013年6月8日