積読層の知質学的研究

映画と地質学と面白いことにおぼれる日々。

土浦を歩く

ふと、思い立った。

もういちどだけ『この世界の片隅に』を劇場で見たくなったのだ。

このあたりだと、どうも土浦でこの5月の末まで上映しているらしい。

せっかくなので行ってみることにした。

 

関東鉄道の路線バスに揺られ、30分。土浦駅の西口に到着した。

車窓からは、やや大きめなバスターミナルと、駅から伸びるペデストリアンデッキが見える。

ペデストリアンデッキのその先には、駅ビルがあって、ここが土浦市役所だということだ。

まだ9時過ぎだというのに日差しが強い。

ペデの上を歩く分には屋根があるので良かったが、そのうちぺデの果てまで来ると、そこからは首筋とまくった腕先に、太陽の熱をじりじりと感じた。

ただ、忘れたように吹く風が心地よい。

 

駅から5分も歩かないうちに、「川口ショッピングモール」までやってきた。道路の高架に沿って、3階建ての細長いテナントビルがある。モール505というらしい。

そちらとは反対に少しだけ進むと、周囲の建物と比べてひときわ背の高い、赤茶けて草臥れたビルが現れた。

ビルには大きな「TC」というロゴが飾られている。おそらく、Tsuchiura Centralの略なのであろう。

 

ここが、本日の目的地だ。

土浦セントラルシネマズ。

僕自身は体験したことがないのに、なんだか昔懐かしい気持ちでいっぱいになるような佇まいをしている。

壁にかかった番組表を見やると、4つのスクリーンのうち、1つしか使われていないようだった。

正面にまわると、高い天井と2階へ続く階段が現れた。エスカレーターもあるが、カラーコーンが置かれ、乗ることはできない。もっとも、手すりや足場を見るに、埃がかぶって汚れており、もう何年も動いていないことを物語っていた。

階上にはCinema3、4の入口がある。が、内からカーテンが降ろされ、わずかに覗くことのできる隙間の先には暗黒しかなかった。ドアには「震災の影響で使用していない」旨の貼紙があった。

固く閉ざされた入口の横から建物の奥へと続く通路がある。

壁はピンク色に塗られ、所々には過去の上映作品の宣材が、おそらく当時のままに捨て置かれていた。

埃臭く、暗い廊下を、本当にこちらに劇場があるのだろうか、と思いながらただ歩く。

すると、日に焼けて白くなった『ハリーポッター』シリーズのパネルがいくつも置かれているのを見た。

やがて、劇場の入口が現れた。券売機でちょっとしたトラブルがあったが、気にすることでもない。

Cinema1の場内に入り込むと、そこには老紳士がふたりと、連れ立ってやってきた女子高生が一組いるだけだった。

場内は昔ながらの映画小屋のつくりだ。スクリーンに向かって緩やかな下り坂になっており、ど真ん中を貫くように通路がある。その左右には、モーセの十戒で真っ二つに開かれた海原のように、およそ300の青い座席がひしめきあっていた。このシートがちょっと固い。このあたりも「昔ながら」のお約束だろう。

 

座席に落ち着いて、やがてあたりが真っ暗闇になるとき、なぜか僕はこのビルに入ってからここに至るまでに見たものを思い出していた。

動かないエスカレーター、開くことのない劇場、暗く埃くさい廊下、草臥れた過去の作品の宣材たち、たった5人の観客……

Once upon a time in...土浦

このまちにもかつて11の映画小屋があった。

土浦セントラルシネマが誕生したのは1957年で、大正以来映画小屋がひしめきあっていた土浦では最後にできた小屋だ。

スターウォーズ』などの洋画を配給する小屋であり、おそらく当時は非常に賑やかであったろうことが想像に難くない。

もちろんビルの外まで観客が並ぶような大ヒットもあったに違いない。

やがて、映画産業の不振にともない、ひとつひとつ映画小屋は消えて行った。

そのうち、最後に残ったひとつがこの土浦セントラルシネマだという。

 

上映が終わって、うすぼんやり場内が明るくなると、僕は思わず映写室のほうを振り返った。誰も座っていない座席の海が目に入り、なんだか胸がいっぱいになる。

たくさんの「映画との出会い」がここにあったろう。喜びも悲しみも、たくさん、たくさんあったろう。

いまや風前の灯のこの映画館の、その灯が、そう遠くない将来にひっそりと消えてしまうような気がした。しかし、もしそうなったら、なんと悲しいことだろうか。

土浦のたくさんの人々にとっての「パラダイス座」。

なんとか灯をこれからも絶やさないでほしいと強く思った。

 

次の回の上映まで10分しかないというので、わりと足早に劇場から立ち去ることになった。

外は、相も変わらず日差しが照っている。しかも、朝にはそよいでいた風が無い。

少し閉口ではあるが、もはや初夏だ。暑さはこんなものだろう。

駅へと向かう途中で、モール505を抜けていくことにした。

が、ここも日曜だというのに活気がない。シャッターが開いているのは、理容室とアパレルの店だけだ。居酒屋が多いのかもしれないが、実際、空き店舗も少なからずあるのだろう。これまた寂しい気持ちになる。

 

ふらふらしていると、モールの切れ目から伸びる路地に、「古本」の文字が見えた。

ちょっと寄ってみることにする。店の入口には、古本の芳しき香りが漂っていた。

そこは「つちうら古書倶楽部」という古書店で、県内外の古書店が寄り合って出店している、毎日古書市とでもいうべき場所だった。

「東日本最大級」の店舗面積という謳い文句もあって、なかなか店内は広い。

これは僕の興味に見合った本に目がいくから、偏見ではあるのだが、ここは歴史書や地理学書がたいへんに品ぞろえが良いように思えた。

もちろん安価ではないのだが、『讀史備要』や『地名辞典』など、図書館の書架でしかみたことのないような本が、どっちゃりと並べられている。

こういうときは、いつも、あと少しだけ金持ちだったらなぁ、と思ってみ、阿呆だなぁ、と苦笑いしてみる。

地向斜論の時代の地史学をまとめたものか、岡本喜八監督の映画本でもないかと思い、目を皿のようにして棚という棚を探して回ったが、これは!、と思える本は『西部劇―サイレントから70年代まで(フェニン・エヴァソン,1977)』くらいしか見つけられなかった。しかもプレミア価格だ。やはり、古書店主は本の価値をよく存じておられる。その慧眼、苦学生にとってはチクショウ! である。

お財布にやさしい本日の戦利品は、『日本化石図譜 (鹿間時夫,1941)』 と『次郎長三国志 (村上元三) 』の2冊だ。『日本化石図譜』は満鮮およびミクロネシアの地質と化石まで扱っており、時代を感じさせる興味深い1冊だ。

 

駅まで戻って、駅ビルを覗いてみたが、ここもなんとなく元気がない。おそらく、みんな郊外のショッピングモールや都会へ行ってしまうのだろう。

帰りのバスを待つまでのあいだ、腹ごなしにと、讃岐うどんを食べた。

この街の佇まいと同じくらい、少しだけつゆがしょっぱかった。

Hiatus

どうやら,我が積読層(Tsundoku Formation)には,堆積間隙(Hiatus)があるらしい…

 このブログで映画のレビューをし始めたのは2013年のこと.もうすでに消去してしまったと思い込んでいたブログが,ログどころかそのまま残っているとはビックリ.この4年はこれまで想像することができないような素敵な経験を幾度となくしてきた.語るべきは多いが,それはまた思い立ったときに何らかの形で面白おかしく語ることができれば,と思う.

 せっかくこうしてブログを発掘したわけだし,何か思いついたときにはよしなしごとを書き込んでみようかと思う.かつて,ブログの説明欄には「文章表現向上のための修行」のごとき文言が表示されていた.いま,過去の記事を読み返してみると,論はともかくとしても文章はそれなりに読める気がする.このHiatusの間にペンの腕が落ちていないか確かめるのは少し怖い.ともあれ,のんびり,にゃもっと行こう!

 

いちごばたけ(17/02/02).

ぼくと「ジュリアーノ・ジェンマ」―さらば、星空の用心棒!

 ジュリアーノ・ジェンマ氏が亡くなった。

 今朝、Twitterで見つけた何気ないつぶやきに意識が覚醒した。あの、ジェンマが・・・。

 1960年代から70年代にかけて、日本ではイタリア製の西部劇が大流行した。黒澤明監督の『用心棒』そのままにアウトローなガンマンが残酷に敵を殺していく『荒野の用心棒』がヒットしたのである。これは日本だけでなく、勧善懲悪の西部劇に閉塞気味だったアメリカでもウケた。

 「ソード&サンダル」と呼ばれた史劇・神話ジャンルが終焉し、落ち込んでいたイタリア映画界は久々に湧いた。西部劇映画は『荒野の用心棒』を下敷きに無数に制作され、俳優も監督も新たな才能が数多く発見された。

 そういった才能の中に、ひときわ輝く者たちが一握りいる。

 ジェンマこそ、その一握りであった。

 僕は当たり前のことであるが、イタリア製西部劇――マカロニウエスタン――世代ではない。ひょんな切っ掛けから虜になってしまっただけの人間である。西部劇を髄の髄まで語れるほどには鑑賞した作品の数も、知識量も豊富ではない。

 ただ、「カッコいい」と思えたものについては言葉足らずであっても、どうしても語りたいのである。つまり、僕にとってのジェンマとは語るに値する「カッコいい」男だったのだ。

 

 ジェンマの作品で好きなものは『荒野の1ドル銀貨』や『星空の用心棒』などいくつかあるが、なんといっても『怒りの荒野』は外せない。僕が初めて見たジェンマ主演作でもあるし、なによりその物語が良い。ガンマンに憧れる、心優しくも娼婦の息子ということで嫌われている青年が、流れ者のガンマンに付きしたがって腕を磨き、二人で街を牛耳るほどになる。ところが、青年のことを見守ってきた老保安官が殺されたことで、青年は覚醒し、師匠に立ち向かう・・・。

 このようなタイプの物語はそれまでになかった斬新なもののように思われる。しかし、大きくとれば成長ものと仇討ものであって、我々が非常に慣れ親しんだ物語でもあるのだ。

 ジェンマが才能を活かして成長していき、だんだんと心変わりしていく様は見事である。親のようにしたっていた老保安官が殺されてからの怒りによってギラギラと燃え盛る瞳!そして、すべてを終えた後に無情を感じて銃を捨てたときの済んだ瞳!!ただイケメンというだけではなく、ジェンマの眼には強い意志や感情が現れる。

 また、早撃ちというわけではないが(ブロンソンと比べちゃダメ?)、鮮やかな体さばきと共に行われる射撃は見事であった。

 

 ジェンマはもういない。しかし、彼の活躍はスクリーンで永遠に繰り広げられる。それはとても素敵なことなのだ。それでも、僕は彼にさよならを言わなくちゃあならない。みんな、あなたに憧れた。ありがとう。

 

 さらば、星空の用心棒!

 

2013年10月2日 苺畑二十郎